時間は皆平等、という勘違い

こういう言葉を聞いたことはありませんか?

 

時間は皆平等だ!

怠けてないで限られた時間を有効に使え!

 

 

ゆっくりとダラけた休日などを過ごしているとこんな感じでお叱りを受けたこと、みんな一度はあるんではないでしょうか?

(僕だけですかね笑)

 

 

この言葉の主旨は理解できます。

 

でも僕は時間って人によって明らかに平等じゃないと思っています。

 

 

一度考えてみてください。

あなたは時間を持ってる人間ですか?

それともあまり持っていない人間ですか?

 

自分がどちらか定かではない人には是非読んでほしい話です。

 




 

 

時間が平等じゃない理由

 

時間は平等。

 

この考えは誰もが1日=24時間という時間を生きていることから来た言葉です。

 

でもその時間は1日の時間であって

その全てが自分の時間という訳ではないですよね。

 

 

なぜかというと僕たち人間のほとんどは

何かに拘束されて生きています。

 

 

例えば、

仕事をしなければならない。

家事をしなければならない。

授業を受けなければならない。

トレーニングをしなければならない。

勉強しなければならない。

 

挙げればきりがない様に自分たちの生きる現代には

やらなければならないことが溢れています。

 

 

 

上の仕事の例を使えば

1日のうち約8時間もの時間が仕事に取られるわけです。

 

もし残業などもしていれば10時間以上取られている方も多いかもしれません。

 

 

さてこの8時間から10時間は誰の時間ですか?

 

 

 

もしもやりたくもなく、自分の為にもならない仕事をお金の為だと自分に言い聞かせてただこなすだけだったら

その8時間は間違いなくあなたのための時間ではありません。

 

 

なぜならそれはあなた自身の為に直接的に時間を使っていないからです。

 

 

では自分の為に使わなかったその時間はどこに行っているのでしょうか。

 

 

 

あなたが失った時間は、

会社や上司、企業の時間になっています。

 

 

会社はあなたに給料を支払うかわりに

あなたの時間をもらっているのです。

 

 

 

シンプルな話、企業の社長が会社のトイレを自分で掃除している光景は見かけません。

つまりトイレ掃除にかかる1時間を、自分以外の誰かにさせているわけです。

そしてそのトイレ掃除に使うはずだった1時間は他社との会議に回せるので、会社の(もしくは自分の)為になることに使えます。

 

そうなると、本来は

(1日) 24時間 − (トイレ掃除時間) 1時間 = 23時間

と23時間しかなかった時間を

(1日) 24時間 + (誰かのトイレ掃除時間) 1時間 = 25時間

 

と、上の例だけでも2時間浮かせているわけです。

 

 

もう答えは出ていますね。

 

つまり雇用主は1日24時間以上の時間を確保し、

被雇用者は1日24時間以下の時間しか持っていないということです。




 

日本人は持ってる時間が少ない?

 

雇用主はお金を失う代わりに時間を得ていて、

被雇用者はお金を得る代わりに時間をあげている。

 

”勤める”とはこういうことです。

 

 

 

日本人は基本的に働き者で勤勉です。

僕が住んでいるニュージーランドの国民と比べると違いは歴然です。

 

 

その日本人の勤勉さゆえに、世界的に信用のある今の日本があることに疑問はありませんし、

日本の誇るべき点だということにも疑問はありません。

 

 

でも、たまにそれが行き過ぎていると思う時があります。

 

 

日本の社会は基本的に

若い時ほど自分の時間を奪われる社会です。

 

 

入社したてなどは特に自分の時間なんて持てません。

企業によっては先輩社員よりも先に帰れないなんてこともあるかもしれません。

会社の飲み会に誘われて”帰りたいから帰ります”と断れば反感を買うかもしれません。

 

 

 

そうして自分の時間の少ない若年時代を過ごした人が

上に立った時、次またの若年層の時間を奪う立場となります。

 

そんな負の連鎖が多くの場所で存在していると思います。

(もちろん全ての企業だとは言いませんが)

 

 

 

そもそも残業一つにして

日本以外のほとんどの国では基本的にする必要がないものです。

 

 

基本的に海外では、自分だけ残業を遅くまでしているとしたら

それは“頑張って働いた証明”にはなりません。

 

ただの”定時内に仕事が終わらなかった恥ずべき証明”になります。

 

 

そして、もし皆が仕事に追われ、社員の多くが残業しているような場合では

それはそもそも会社の人事部の管理問題であって社員の問題ではないのです。

 

 

それでも日本では責任感や、周りの環境から自分の時間を削って会社に時間を捧げてしまう人が多くいるのが現状です。

 

 

 

こうやって海外の状況と比べると

海外は海外で、日本は日本!

という意見は必ず出てきます。

 

しかし、他の先進国のほとんどで行なわれている事は

基本見習うべき点が多いです。

 

 

はっきり言って若者の時間を奪うような社会は変わるべきで

今の時代、そのような古い伝統はいりません。

 

なぜなら新しい時代を作るのは常に若者だからです。

どんな世界でも、若者は老いた人間よりも思い切りがあり、流行りに敏感で、新しい事を知っているものです。

 

今は世界が繋がっています。

若くして自己投資の為の時間を持てない日本の若者では

自己投資で経験を培った世界の若者には対抗できません。

 

 

ちなみに20代半ばの僕が言うのは変ですが、若いと言っても、

30代前半の人たちなども十分に若者の部類だと思います。

 

 

いずれ僕たちが上の世代になる頃には、

最近の若者は甘えている!

と下の世代を揶揄するような人ばかりはなく、

逆に心にゆとりを持って若者に時間をあげられる様な人が沢山いる世代にしていきたいものです。笑




 

時間を自分のものにするには?

 

では自分の時間を確保するためにはどうすればいいでしょうか?

 

 

会社を起こして雇用主になることですか?

 

それも一つの手ですが、いろいろとリスクが大きすぎる上に、

基本的に起業すれば命がけなので逆に自分の時間はなくなるという矛盾があります。

 

 

なのでもっと簡単な方法があります。

 

楽しめること。そして自分自身が成長できることをする

です。

 

 

僕も今はニュージーのクリニックで鍼灸師として雇われている身です。

 

それでも僕は自分の時間は比較的確保できている方ではないかと思います。

 

 

なぜなら今クリニックで働いていながら、

毎日患者や同僚と英語で会話し(英語力の訓練)、

他の鍼灸師と情報交換して(治療家としての経験)、

毎日4時過ぎには家に帰って趣味に時間を費やしているからです。

 

土日祝の休み、そして有給も一ヶ月あるので

休みを取って好きな旅に出ることもできます。

 

 

言ってしまえば、このように自分の時間が取れるからこそ

ブログを開設して、この記事を書くこともできているんです。

 

 

自分の好きな事、ためになる事に時間を割いているのであれば

それは十分にあなたの時間と考えていいのではないでしょうか。

 

 

 

まとめます

 

もちろん会社の状況や、仕事の状況などが違うのでいますぐ変えれることではありません。

ですが変えられないことばかりでもないはずです。

 

 

自分の時間の使い方に疑問を持っていなかったのに、そこに疑問を持つようになったというのであれば、それだけでも十分な変化です。

 

 

あなたの時間はあなたの時間で、

あなたを成長させるための限りある重要な資源です。

 

 

世界に存在するお金に限りはありませんし、

お金は国力で常に価値が変動しており、あなたの力そのものになるわけではありません。

 

お金は大事ですが、好きなことをできるだけの余裕さえあれば若いうちは十分で、あとは時間の方が貴重だと思っています。

 

 

 

会社にいくら自分の時間を捧げようが、

自分の将来を約束してくれる会社なんて今はありませんし、

一つの会社に死ぬまで従事する様な昭和の時代でもありません。

 

 

 

志ある若者の時間こそが国の宝です。

そこから国の発展が生まれます。

 

 

今の日本の将来に不安を持っていない人は、ほとんどいないと思います。

 

 

そこを変えるためには

若者一人一人が自分の時間の価値に気づくことから始めることが、これからのいい日本につながるのではと思っています。

 

 

若者たち、
頑張っていきましょう!

 

 

時間関連で、実は一人一人本当に物理的に流れる時間が違うんじゃないかという話もいつかしたいと思います:)




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