日本の”仕事の常識”は早く変えなければならない

世間には常識があります。

常識とは社会のルールであって、最低限皆が守るものとして認知されています。

 

海外に出た日本人がほぼ間違いなく強く感じるのが日本と他国の常識の違いです。

 

もちろん社会制度も違い、宗教や文化が違うそれぞれの国で常識が違うのは当然ですが、その中でも日本は特殊な常識が蔓延している国です。

先進国で他国との国交が盛んな国でこれほどまで特殊な常識が多い国は珍しいです。

 

 

それらの特異性は今の日本社会にいい面でも悪い面でも影響していますが、一刻も早く変えるべきものがあります。

それは仕事に対する認識です。

 

 

日本人は勤勉です。

これはもちろん日本人の美徳であり大切にすべきところです。

 

しかし今一度その考え方を見直す必要が全ての日本人にあります。

たとえ美徳でも適応した範囲内で行われない限り、マイナスです。

 

いいところは残し、悪いところを変えていかないと

評価されない美徳によって身を滅ぼされることになります。



日本人の仕事観

日本の仕事に対する考え方はこれまでの長い間、世界中で評価されていました。

それは日本人の仕事に対する姿勢が他国とは全く異なるものだったからです。

 

 

職人に多く見られる日本人の仕事が生きがいという考え方は世界的に見るとかなり特殊です。

様々なものに魂や神が宿るとされる神道の教えなどにより、魂のないお金は得られずとも、その仕事に魂をかけて生きることが美徳だったのです。

 

人生をかけて技術を磨く国民性を持つ日本人には高い技術を持つ職人が数多くいました。

そしておもてなしの心利他の心を持つ職人は、そこにお金が発生すると身を削って義務を全うします。

 

 

その仕事に対しての特殊な信念のおかげで今でも世界中から日本人は勤勉で仕事を頑張る国民として評価されています。

技術を持ったmade in Japanの商品は、世界からの信頼を勝ち取り、今でも多くの技術は世界に誇れるものです。

 

しかし時代が変わるにつれて少しづつ、しかし確実にその認識が変わりつつあります

 

雇用主と被雇用者は対等ではない日本社会

海外での日本人の認識はどう変わりつつあるのか。

これを紐解くには企業と社員の関係性の違いついて考える必要があります。

 

 

まず日本の常識では雇用主と被雇用者は対等ではないことが多いです。

被雇用者は雇われの身なのだから立場は低くて当たり前だといった考えが日本には多くあります。

 

そのため会社側は雇用者に対して比較的簡単に不利な条件を出してきます。

それでも日本人は真面目に働くことが美徳とされているため、社員はそれに不満があっても真面目に働こうとします。

 

求人に書いてあったことと条件が違うということも多くあり、求人情報は一種の建前のような認識があります。

海外ではもし求人情報が違ったら社員は堂々とそれを発言すべきという認識なため、そのような建前が当たり前に横行するのは見られません。

 

 

もちろん海外にもに日本と同様に企業側が社員を使っているという認識を持っている雇用主も存在するため、一概には言えません。

しかし言えることは、海外で働いている会社がそのような認識だと仕事の効率が悪くなってしまうんです。

 

 

海外では雇われている社員はその会社で働く価値がないと思ったらすぐに職場を変えます

 

日本のように”石の上にも三年だから、三年は頑張る”などといった考えはありません。

世間の無職に対しての抵抗も日本ほど強くない為、たとえ仕事を失ったとしても迷惑をかけていないのだから他人にとやかく言われる筋合いはないといった認識です。

日本のように一つの企業に長く勤めた方が評価されることもありません。むしろいろんな仕事の経験を積んでいる人の方が尊重されることが多いです。

つまり働きたくもない会社で我慢して仕事を続けるのは日本人くらいなのです。

 

 

雇用主も頻繁に社員が切り替わっていたら経営を円滑に行うことは難しくなります。社員の育成には手間がかかりますし、そもそもその社員に能力があったからこそ雇ったはずなので会社を辞められると補充に苦労します。

そのため雇用主は不利な条件ですぐに辞められて新しい人を探すよりも、社員にとって働きやすい環境を作った方が効率がいいということを知っているんです。

 

 

海外ではこのような社会の流れがある為、会社のルールや方向性は雇用主が決めてたからと言って、

雇われた側の立場は低いという認識は通用しません。

 

”給料の代わりに、皆の時間を貰っている”

それが雇用主と被雇用者の関係であって、対等であって当たり前なのです。

 

自分の価値を自ら低くしている日本人

上の日本と海外の違いを見ると日本人の特徴が見えてきます。

 

日本人は限りなく自分の価値を低くしてしまっているのです。

 

”お金を貰って雇われているんだからこれぐらいは頑張らなければ”

などと考えてその会社のために異常なまでに自分を捧げています。

友人や家族との時間を削ってでも会社のために身を削ります。

 

残業なんて海外ではまずありません。サービス残業なんてもっての他です。

もしも自分が受け持つ仕事を自分の責任で終われないのであれば、残業する必要もあるかもしれません。

しかし自分だけでなく多くの社員が皆残業をしているような会社は明らかに会社のタスク管理の問題です。

 

それでも”皆も残業やっているんだからお前もやるべきだ”などと周りからの重圧に押され、もしくは感覚が麻痺してしまい、皆と同じように自分の時間を捧げることになります。

冷静に考えると本当におかしいです。

 

 

 

自分の時間は有限です。

国が刷ればどんどん増えるお金とは比べものにならないくらい大切です。

 

いつまでいるかわからない会社に無駄に貴重な時間を捧げるよりも、

定時に仕事を終えて趣味なり、友達と遊ぶなり、興味あることを勉強するなりするべきです。

 

それが人生の第一優先です。

一人の人間の時間を平気で奪う会社も、

自分の時間を平気であげる社員も、

認識を変える必要があります。

 

世界の日本人の評価を変えていってるのは他でもなく

その異常性に疑問を持っていない人たちです。

 

安くて頑張る日本人

日本人の評価はどう変わってきているか。

 

海外でプラスの評価を得ている日本人の仕事観ですが、それは必ずしも良いことではありません。

勤勉で、信用できて、真面目にやってくれる日本人。

こう聞くとプラスに聞こえます。

 

でもこれは当たり前です。

上で書いた通り、日本人はお金さえ貰えれば自分の時間を捧げても文句を言わない民族だからです。

 

 

先ほど書いた通り、海外では雇用主も被雇用者もwin-winな関係です。

よって社員も都合の悪いことになれば自分を出してしっかりと主張します。

会社側も社員の手が必要なのでその意見を無視するわけにはいきません。

対等に社会が回っているのです。

 

 

なので社員も堂々としています。

何かを食べながら仕事もするし、社員同士大声で会話するし、自分の仕事が終わればあとはゆっくりしてるし、

業務に支障のないレベルでゆっくりと仕事を行います。

 

しかしここに日本人が入ってくると話は変わります。

業務中は私語は控えるし、時間があれば向こうから仕事を求めてやってくる上に、

一つの業務に対する真剣度も違います。

多少きついお願いしてもどうにか仕上げようと頑張ります。

 

 

雇用主にとってはどちらの方がありがたいか。

明らかに日本人ですよね。

だからこそ日本人が海外で活躍を始めた当初は日本人の評価が上がったわけです。

 

 

しかし、今日では海外に日本人がいることは珍しくありません。

雇用主も日本人の仕事に対する認識が常識とは違うということはもうわかっているのです。

同じ給料で他の国の人間よりも働いてくれるのであれば、もちろん日本人を雇いたくなります。

 

しかし英語も別に上手くはなく、日本の教育により平均化されている日本人が海外で働けるところは限られてきます。

結果として工場やレストランなどの誰でもできる労働力として働くことになります。

 

 

アジア人でも他の多くの国では英語を話します。

また日本人のように能力を平均化されていることも少ないので、自分たちで経営側に回る力を持っている人も多いです。

 

 

日本人がこのまま何の疑いもなく自分たちの価値を落として働き続ければ、

近い将来日本人の価値は間違いなく技術の高い日本人ではなく、安く頑張る日本人になってしまいます。

 

自らの価値を落とし、自らを奴隷化している日本人は、国際的な社会に出た時には常に外国人に使われる立場になります。

 

では日本にいれば安心でしょうか?

いいえ、日本が日本人中心の社会なのは今だけです。

 

日本も近い将来、諸外国と同様に例外なく国際的な社会になります。

その時に日本人の立ち場を落とさないためにも今のうちからしっかりと自分の意思を尊重し、

会社の下に付かない生き方をする必要があります。

 

 

まずは発言する勇気を持ちましょう。

それに対してうるさく言ってくる周りの声は奴隷化されている人たちの声です。

自由に生きようとする人が羨ましいだけなのです。

 

自分が正しいと思うのならその無意味な声に流されないように自分を信じて貫きましょう。



終わりに

日本人の勤勉で、努力家なところは変えるべきではありません。

それによって生まれた技術や信頼は他国では真似できないものです。

だからこそ僕は自分が日本人であることに誇りを持っています。

 

皆が自分のやりたい道を貫けるような夢のような社会は、世界中どこを探してもありません。

しかし今の日本社会を見れば社会に縛られた姿しか見えません。

その姿は到底誇りを持てる姿ではありません。

 

 

僕の知り合いの中でも、日本人で偉大な人はたくさんいます。

尊敬する人がたくさんいます。

そしてその人たちに共通しているのは周りに縛られずに自分を貫いて生きているところです。

 

少しでも多くの人が他は違うことを主張する勇気と、それを受け入れる心を持つことで、

日本社会は人が生きやすい社会に変わっていくはずです。

 

 

ひとまずは常識だと思っていることを疑っていきましょう。

 




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