さて、今回は少々マニアックな話だ。
“Déjà vu“
フランス語からきた言葉だが日本語で言うと“既視感”のことである。
日本での読み方は大体3パターンに分かれる。
デジャブか、デジャヴか、デジャビュである。
この記事内ではどう呼ぶべきか。
まずvの時点でデジャブはありえない。
ではデジャヴでいいのか。
vの発音を知らない生粋の日本人には少しきついかもしれない。
では、その中間であるデジャビュと呼んで行くべきか。
しかしそこでもvをbの様に発音することは勘違いを引き起こす。それはどうしても避けたい。
よって、この記事内ではデジャヴと呼んでいこう。
英語の発音的にはディジャヴゥといった感じだ。
デジャブだと外国人にはまるっきり通用しないので注意だ。
まぁ元はフランス語で発音は正確にはわからないし、
実を言うとどうでもいい。
一番の問題はこの無駄話だけで既に300文字近くも使ってしまったという事実である。
さて、デジャヴとは
初めてなのになんか見たことある
というあの不思議な感覚のことである。
ぼんやりと感じるものもあれば、過去にそれを経験したほどに鮮明に見えることもある。
よく夢でみたと形容されるため、予知夢によるものとオカルト的に捉えられていたりもするが、
現実にデジャヴがどの様なメカニズムで起こっているかを見れば、そこまでファンシーなものではない。
デジャヴのメカニズムとして一般的に言われているのは、
脳の勘違いである。
記憶とは脳の中の神経の繋がりによって記憶されるもの。
しかしその記憶内で強い印象を持ったものはより強固に脳に記憶される。
時間が経つにつれその記憶は脳から消去されるが、ある時突然それと似た様な状態になった時に
その記憶の神経の繋がりの一部が発火される。
記憶の前後の脈絡なしにその一部分だけが発火するので、本人はその忘れ去られた記憶から起こったものだとは気づかない。
たとえ一部分でも過去に見た記憶を思い出す神経作用と同じものなので、
初めての場所でも見たことあると感じてしまうのである。
これが現在言われているデジャヴの最も一般的なメカニズムだ。
”最も一般的”
つまり実際には、どの様にして起こっているのかまだ明確にはわかっていない。
そこで考えたいのは別のメカニズムによって起こっている可能性である。
先ほど述べた最も一般的な説が
脳勘違い説と名付けるならば(実際にはもっといい名前があるはずだ)
これから述べる説は名付けて
平行世界との交錯説だ。
平行世界とは”多元宇宙論”から考えられたもので
今自分たちが認識している世界とは別に同じ様な世界があるという考え方だ。
それも平行世界は一つや二つだけではない。
世界のどこかで量子的な決定が起こった瞬間に世界は分かれる。
量子的決定は世界で、宇宙空間で常に起きているため、無限の数の平行世界が存在することになる。
ここまで書いて何を言っているかついてこれていない人は
”SFの様な話”と思うだろう。
しかしこの多元宇宙論も、平行世界も全くもってオカルトな話ではない。
物理学的にも現実に起こり得るものであって学者によって支持されている一つの説でもある。
話を戻そう。
まずは平行世界を生み出す量子的決定とは何か。
すごく簡単に言えば、2つの選択肢から一方を選ぶことである。
道を歩いていると分かれ道がある。
右を選ぶか、左を選ぶかの二択であり、もちろんどちらか片方しか選ぶことはできない。
例えばあなたは右を選んだとする。
そうなるともちろん右を選んだ先の未来を経験することになる。
では左を選ぶことはなかったので、左に行く未来は存在しないのだろうか。
多元宇宙論では、たとえあなたが右に進んだ未来を見ているのだとしても、それが量子的決定によって起こったものであれば
左の道を選んだあなたは存在し、その別のあなたは左側に進んだ未来を経験していることとなる。
もちろん右側のあなたと同様、左側にいるあなたにとってはそっちの方が現実である。
ここでもう一つ別の世界、平行世界が生まれるのである。
例え右を選んだあなたが事故に遭い死んでしまっても、
左側のあなたは事故に遭わずに生き続けるためその先の二つの未来は完全に隔てられることとなる。
そしてその先の未来で量子的決定が起こればそこからまた枝分かれして増えていく。
では例えばカレーかハヤシライスを食べようと迷った末に片方を選ぶことで量子的決定は起こるものなのか。
残念ながら量子的決定は完全に50%の確率で起こるものでなければならない。
カレーかハヤシライスでは”味の好み”という主観が入る。
その時点でそれは完全な50%ではなくなるので世界は分かれることはない。
最初に書いた分かれ道の例もわかりやすい様に例えたが、実際にはそこから量子的決定が起こる確率は極めて低い。
選択には右利きだから右を選びやすいなどといったパターンが干渉してくる。
知識や過去の経験などから一方を選択すると、そこにも過去の干渉が入っているので完全な50%ではない。
ゆえにいずれも量子的決定ではないため、世界が分かれることはない。
では完全な50%の量子的決定はいつ起こるものであろうか。
最も起こるのは観測によって量子が非局所性や重ね合わせ状態を失う
量子デコヒーレンスの瞬間である。
過去の記事でも何度か書いた通り、
重ね合わせ状態で右にも左にも同時に回転している量子は、
デコヒーレンスが起こると右か左かの一方の動きに集約される。
その確率は確実に50%である。
量子の観測で起こる決定、ゆえに量子的決定と呼ばれている。
ではその分かれた平行世界は一体どこに存在するのか。
分かれた瞬間に宇宙の遥か彼方にある別の地球や他の場所に転送されるのか。
否。
分かれた平行世界は自分がいる世界に重なって存在している。
ただ我々がそれを認知できないだけである。
物理学者のミチオ・カクは、これをラジオに例えている。
”この部屋には違ったラジオ局の電波があって周波数を合わせることでラジオから音が流れる。
しかしラジオが実際にキャッチして一度に流すことができる電波はその内の一つだけだ”
ここまで理解できれば、ここからようやくデジャヴの話だ。
量子力学で考えられている通り、この世界の全ての物質は波である。
人体も例外ではなく、細胞を構成する分子や原子も量子によって形作られているため常に振動しており、周波数を放っている。
我々はラジオの様に、ここに無数にある現実世界の一つと同調することで、
この世界に自分は存在すると認識している。
しかしその周波数も時に乱れる。
非局所性を持つ量子がデコヒーレンスを起こす時には、
高い確率で動きは予想できても、完全に動きを予測するということはできない。
DNAの複製過程でもその様な量子のエラーが起こる。
それがいわゆるがん細胞の元となったりするのだ。
今この瞬間にも量子的決定が行われており、
無数の平行世界がここに誕生している。
そしてその分だけ周波数が微妙に違う自分も無数に複製されているということである。
量子力学の性質的に、高い確率はあっても絶対はない。
そう考えると
今いる世界の周波数に近い別の世界と自分が同調してしまう可能性
は大いにあり得るのではないだろうか。
ラジオのレバーをゆっくりと回してチャンネルを変えれば、
チャンネルの中間地点では違った音が重なり合う。
もしもそれと同じ状態が我々の身体で起こるとすればそれはどの様な感覚になるだろうか。
不思議な感覚に襲われるはずだ。
一瞬感覚や記憶が重なった様に感じることになるだろう。
しかしすぐに身体の周波数は世界に同調するため、その感覚はなくなる。
これはまさしくデジャヴの様な感覚になるだろう。
長くなったが、話をまとめよう。
平行世界との交錯説(もっといい名前が浮かんだならそちらを使っていただきたい)では、
デジャヴは自分の身体と今いる世界の周波数の乱れによって、
平行世界からの情報が交錯する瞬間のことなのではないか
と考えることができる。
そうなると自分が本来居た世界の周波数とは違った周波数の世界に
同調してしまうということもあるだろう。
つまり平行世界に自分が移動したということになる。
それでも元々自分がいた世界と何も変わらないのは、周波数が近い平行世界はその分誤差も小さいからである。
木を見ればわかる通り、たくさんの枝が分かれているが隣の枝はすぐ近くにあって、
移動したとしてもそこから見える景色に大きな違いはない。
一方で巨木の反対側の枝に行くと景色は全く違って見えるはずだ。
もしかするとそちらの世界では、
今でも地球に恐竜が生息する世界かもしれないし、すでに地球は滅びている世界かもしれない。
もう少し近い世界だと
第二次世界対戦では連合軍側が勝利し、ドイツ軍と日本軍が世界を牛耳っている世界も存在するかもしれない。
その様な今居る世界とあまりにもかけ離れた世界と同調するとなると、それは周波数の乱れ程度では不可能だろう。
しかし何度もいう通り、絶対はない。
ある朝突然別の世界に行くことになるのも、あながち映画だけの世界ではないだろう。
現に我々はデジャヴを感じている瞬間にはもう
パラレルワールドに入っているかもしれないのだ。
今度デジャヴを感じる機会があったらそんなことを考えながら、
以前とは違った何かがないかよく観察してみることだ。
運が良ければ今朝は青いシャツを着ていたはずが、午後には赤いシャツになっているかもしれない。
我々が生きている現実とはそれくらい曖昧なものなのだ。