世に言う”友達”はほとんどが必要ではない

僕は一人の時間が好きです。

どこに行くにも大抵一人か、旅に出るときも一人で行くことが多いです。

 

日本に居た十代の頃から一人でどこそこ行ったりするのが好きでした。

しかし当時は友達が少ないと思われることが嫌でちょっと恥ずかしく思っていたこともあります笑

 

しかし今自信を持って言えるのは、

一人でいる時間の重要性と、友達が多い=良いことではないということです。



友達ってそもそも何?

一般的に友達が沢山いることはいいことだと認識されています。

その理由は小さい頃からそれを目指すよう教わるからに他なりません。

 

僕たちは子供の頃から”友達100人できるかな?”などと歌いながら小学校に入ります。

そして”友達を沢山作りましょう”と学校に入学してクラスが決まるとほぼ確実に言われます。

もしも学校生活で一人でいることが多いと”周りとうまくやっていけてる?”と心配までされてしまいます。

 

でも思うんです。

そもそも友達って何?

 

友達という言葉は個人の主観で決まるものです。

周りがどうこう決めるものでもないし、自分の中で明確な線引きをしているわけでもありません。

 

 

あなたの考える友達別の人の考える友達は違うかもしれません。

それでもそれを沢山持った方が良いと断言できますか?

 

個人的にはそのような曖昧な定義しかないものを”いっぱい作ろうね”と人に押し付けるのは良いとは思えません。

なぜなら個人の主観で決まる”友達”によっては全く違う結果に行き着くことがあって当然だからです。

特にそれを子供の時からしつこく言われると心の中に深く根付きます。

 

なので大事なことは”友達を持て”と教えるのではなく、

他人と関わる意味について考えるように教えることです。

 

”他人といること”は”妥協をすること”

僕は自分に友達が多くいるとは思いませんし、逆に少ないとも思いません。

そもそも周りの言う友達が何なのか明確にはわからないのでそれを他人と比較するのは的はずれな気がしてなりません。

 

僕が一人で何かをしていると友達がいないのか?と聞かれることは少なくありませんし、特に常に一人で旅に行っていると一人で行って楽しいの?と聞かれることも多々あります。

しかし逆にどうしていつも他人と行動しないといけないのか疑問を感じずにはいられません。

 

 

人は他の人と違って当然です。誰かと対等に何かを共にするということは多かれ少なかれ互いに妥協をすることが必要になります。

常に誰かといてストレスがたまらないと言う人は、自分を妥協するのになれているか、絶対に貫きたい基準がないか、もしくは周りを妥協させていることに気づいていない人だと思っています。

 

 

自分のやりたいことは、周りの大多数には理解されなくても絶対にやりたい。

そう考えていれば自ずと自分一人で行動する時間が増えることは疑いはないですし、一人でいることに対してマイナスに感じることもなくなってきます。

 

しっかりと話せる人は限られている

僕の職業は鍼灸師です。

しかしそもそも鍼灸師とは時代に沿わない職業です。

 

現代医学が当たり前の現代で、新しいものがどんどん誕生している現代で、

科学で証明もされていない何世紀も前から存在する伝統的な概念を元に考えているのが鍼灸師です。

故に毎日経絡経穴とかとかを考えている時点で世間の常識からずれているのは仕方がありません。

 

世界にはいろんな解釈がありますが、職業柄か基本的に僕がいつも考えているような解釈を人に話しても理解をされることは少ないです。

 

それは鍼灸師だけではなく、新しく斬新なアイデアを持っている人たちは基本的には最初は周りに理解されないことがほとんどです。

世間のほとんどが簡単に理解できるようなことであれば、その多くがすでに存在することであってやる価値は少なくなるので当然です。

 

そんな中、しっかりと自分のアイデアを話せて、理解してくれる人はこの世間にどれくらいいるでしょうか?

しっかりと話すことができる重要な”友達”は数が限られて当然なのです。

 

 

もちろん相手がどれくらい理解してくれるかは自分が相手にどのように話すかによって変わってくることなので一概には言えません。

むしろ治療家をやっている以上、ほとんどの患者に気や経絡経穴について説明する必要があるので相手に理解できるように話すことは僕たちの仕事の一部でもあります。

しかし責務の伴わないプライベートでは、ある程度内容がわかる人、もしくは違った考えに耳を傾けることができる人でないとそこから何かが生まれることはありません。

 

 

何も考えずにただバカができる学生時代からの古い友人もいます笑

でもそんな人達も周りに常にいる必要があるわけではありません。そのような友達はどこにいても故郷にに帰ったらバカができる友達なので限られた人数でいいのです。

 

共感するだけの”友達”はいらない

一緒にいたいと思う人もたくさんいます。

それは自分の意見を隠さずに出してくれる人です。

 

世間で言われる友達の中でも、ただ意見が合うだけの人は基本的に必要ではありません。

愚痴を言って共感し合ったり、同じ意見の仲間同士で宗教的に自分たちに酔いしれたりするのは正直いうと時間の無駄なんです。

 

 

先に書いた通り、人は違って当たり前です。

違った経験と違った考えのもと生きているはずなので、僕と完全に意見が合う人なんているはずがないのです。

 

 

僕が一緒にいたいと思う友達は、隠さずに違った意見を出してくれます。

それは僕にも違った見方の勉強になるし、違った観点からの意見をもらうことで自分では気づけない自分のアイデアの先に進むきっかけになるのです。

 

それが人と一緒にいる上で一番重要なことだと思います。

自分一人では欠けている穴を、指摘して埋めてくれるような人。

そのような人が真の友達ではないかと思っています。

 

そしてそのような貴重な人は周りにゴロゴロといるわけではありません。

だからこそ友達を多く持つよりも、信頼できる友達を数人持つ方が何倍も価値があると僕は思っています。



終わりに

ここまで書くとまるで僕が他人大嫌い人間みたいに捉えられそうですが、実は僕は人が好きです(笑)

その理由はみんな違って、違うからこそみんなが必要だと思うからです。

 

なので意見を合わせるだけの友達は、僕の中では本当の友達とは思うことができないんです。

人と関わる上で一番重要な部分を消してしまっているわけですから。

なのでこれを読んでなるほどーと思った方はこれからどんどん自分の意見を出して行きましょう。

 

 

あとこれは完全に僕主観の友達の解釈です。

一番最初に書いた通り、友達は人によって受け取り方が変わることは当然なので、反対意見があって当然だと思います。

ただこの記事を読んで友達について再び考えることができたのなら幸いに思います。





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