
人類が存在する意味はないと思う
突然ですが、自分の人生に意味はあると思いますか?
いきなりこんなことを聞くと”何?病んでるの?”と思われそうですがいたって普通ですよ笑
人生の意味は何かと問われた時の答えは様々だと思います。
”新発見をしてこの世界に形跡を残すこと”。
”幸せな人生を送ること”、”誰かを幸せにすること”。
”子どもたちに未来を託すこと”。
あげればきりがなく人の数だけその解釈は変わってくるはずです。
しかし自分たちの存在や行く末を考えた時に到達する地点を考えると自分が生きている意味が本当にあるのか疑問を持つのは当たり前です。
僕は実は人生に特に意味はないと思っています。
Contents - 目次 -
生物の目的
僕たち人間を含む全ての生物が本能を持っています。
本能とは元から自分たちに備わった目的を達成するための欲望です。
僕たちが食べるのは生きるためで、異性に惹かれるのも子孫を残して種を繁栄させることが目的です。
つまり本来の生物の目的は未来に自分たちの痕跡を残すことです。
しかし人間は頭脳が発達しており、ただ生きて子どもを作るだけでは物足りません。
結果的に人は人生に更なる生きる価値を求めます。
生きている間に何かを成し遂げてようとしたり、何かを生み出そうとしたり、自分自身に少しでも価値を持たせようと必死になります。
誰かに認めてもらった時に安心したり、嬉しくなったりするのもそれによって自分に価値があると感じることができるからです。
その結果人は人を求め、人生に意味はあるのだということを皆で囁き合いながら生きていきます。
でもそれでは本来の目的とは逸れているのではないかと思います。
人が消える時は”心臓が停止した時”ではない
僕が海外に住んでても読み続けている数少ない漫画にワンピースがあります。
そのワンピースにこんな言葉が出てきます。
『人はいつ死ぬと思う…?
心臓を銃で撃ち抜かれた時……違う。猛毒のキノコスープを飲んだ時……違う!!!
人に忘れられた時さ…!!!』
-Dr.ヒルルク 『ワンピース』
僕の好きな言葉です笑
どの人間もいつか消えます。
僕もいずれは死に、この世界からいなくなります。
でも人が完全に消えるのは心臓が停止した日ではなく、痕跡がなくなった時です。
人は死んだ後も痕跡が残ります。
それは周りの人がその人のことを知っているからで、周りに影響を与えていろんな人の心に残り続けている以上、それはその人の生きた証となります。
誰もが知っているような過去の偉人は死後も皆に影響を与えます。
つまり彼らはまだ消えていません。痕跡を残している以上まだ生きていることになります。
僕はおじいちゃんやおばあちゃんのことは知っていても、記憶にない曽祖父や曽祖母のことはほとんど知りません。
なので僕も子どもを持ったとしても、僕のことを知っていてくれるのは2世代先くらいまでが限界です。
その場合、痕跡は記憶ではなくDNAで残ります。
僕が存在している以上、たとえ記憶になくても僕の祖先の痕跡や存在意義は残り続けているのです。
自分たちが生きた痕跡がこの地球上に残っている以上、僕たちの存在意義は残り続け、先ほど書いた通り、生きる目的はその痕跡を少しでも多く残すことです。
ではこの地球上の痕跡が全て消えた時はどうなるでしょうか?
100%滅びる人類
最初に言った通り、生物の本来の目的は種の存続です。
しかしその先に間違いなくあるとわかっているのはいつかは滅びるということです。
地球の寿命は長くても17億年後と言われています。いずれにしろその何億年も前には環境変動で生物が生息できる環境ではなくなっているでしょう。
太陽も50億年後には消滅します。太陽はエネルギーを失い中性子星となり、その時には地球のみならず火星も木星も土星もこの太陽系の星は全てが死の星になります。
我々はもちろん、子孫も文明も全てその時までには消えると確定しています。
つい数日前の10月12日、地球に危機が迫っていたことは知っていますか?
2012 TC4という直径100mほどの小惑星が地球から43,000kmの地点を通り過ぎていたためです。
こういったことは特に大きなニュースにもなりません。なぜなら地球に衝突する可能性があるにしてもないにしても現時点で人類ができることなど何もないからです。
人類の歴史の全てであるこの地球は、小惑星という弾丸が吹き荒れる宇宙空間になんの隔たりもなく浮かんでいます。
気圧で燃え尽きることがほとんどですが、直径1kmの小惑星の衝突で地球上の生物は滅びると言われています。
数年後か、数ヶ月後か、もしくは明日か。宇宙の大きさから見れば天文学的確率だとしても、隕石が衝突して地球が滅びない保証はどこにもありません。
隕石が当たらずに生き続けたとしても、地球も太陽も死ぬということは確定しています。
小さな星の一種類の生物である僕たちが、そのような強大なエネルギーの消滅から逃げ失せて、生き延びることなんてできるのでしょうか?
ほぼ100%不可能です。
火星をテラフォーミングして移住する話は随分と前から上がっており、その手の話は僕も大好きですがそれによって他の惑星で一つの文明として成功する可能性は限りなく低いと僕は考えています。
そうなれば僕たちが必死に生きて残した情報はいつかは消えます。
後世に軌跡を残すことが生きる意味だと考えていても、それらの情報を全て無くなってしまうのであれば意味はなくなります。
今僕たちが地球上で何をしようとも、どんなに人類のためになることをしても、
僕たちが未来に紡ぐ情報の全てが人類が滅ぶまでの先延ばしに過ぎません。
環境破壊もいわば必然
地球に生まれ、地球で育ち、地球で死んでいく。
僕たちの住む命の星に繁栄する全ての生物がその法則を破りません。
ただ唯一、人類を除いて。
人類は地球の環境を変え続けています。
木を切り倒し、生物の環境を変え、街を発展させ、海や大気を汚染し続けています。
母なる地球の環境を守ろう。環境破壊を止めよう。
そんな認識が当たり前になってから久しいです。というか、僕が物心ついた時からそう言われています。
しかしこの様な環境破壊は人類の傾向を見るに当たり前の行為です。
人類を除く全ての生物が人為的な干渉なしに、自ら環境を破壊していくことはありません。
しかし人類は人生に意味を求めています。
他の生物と同様、地球と共にただ生きれば滅びることはわかっています。
環境にいくら優しく生きてもその結果滅びるということは自分たちの人生に意味がないと認めるのと同様です。
人類が意味を待つには発展する必要があります。
そしていつかは惑星という括りを出る必要があります。そうでないと未来に情報を残す意味もなくなってしまうからです。
宿主(地球)が寿命を迎える前に、他の宿主(他の惑星)に寄生するために今の宿主の環境を蝕む。
そう考えると人類は僕たちの身体に住む病原菌とそう変わらないのかもしれません。
一方でこのまま人類が何もしなければ、この地球で子孫を残し続けている全ての動物や虫の情報もなくなってしまいます。
人類が生きることによって彼らの情報を次に繋げる可能性も少しだけですがあります。
つまり人類がやっていることは彼らに意味を持たせる為の助け舟である可能性もぬぐえません。
人類は地球の病原菌か、助け舟か。
環境破壊も解釈によっては真逆の存在になりえるということです。
(念のためですが環境破壊を気にしなくていいと思っているわけではありません)
僕たちはどう生きるべきか
周りの全ての人間が意味のないのであれば、僕たちは何に縛られているのでしょうか。
この世界で僕たちは常に何かに制約されています。
会社や学校、仕事や主教、国家や財産、、
これらは存在して当たり前かと思うかもしれませんが、
これらは全て意味のない人類が作った物なので、当然意味のない物です。
たとえそれが意味のない物でも、僕たちの暮らす社会はそれら架空の価値で動いています。
生きるためにはこのうちのどれかには従わないといけないこともあるでしょう。
しかしここから言えることは、
できる限り自分がやりたい様にやるのが最も正しい生き方だということです。
架空の物に縛られて本当の価値を失ってはいけません。
真の価値とは時間です。
時間は人間が作った物ではなく、この地球上の皆が生まれながらに持っている物です。
お金や、社会的地位などの意味ない物に惑わさず自分の時間を失わないようにするのが一番の生き方です。
この世界での一番大変な生き方は自由に生きることです。
なぜなら自由を奪い、奪われることに慣れた人間が世界の大半だからです。
なので周りのいう社会的価値なんて気にせず、自分の中の価値を作りましょう。
初めから人生に価値はないと思えば、この世界に価値を作るのは他でもなく自分自身です。
終わりに
うーん、なんでしょうねこの記事(笑)
こんなことを日々考えてるとどうしてもシェアしたくなりました笑
ここまで見てきた内容だと人によってはいろんな考え方が生まれると思います。
書いてある通り、人類には意味はないと考えられるかもしれません。
もしくはそれでも今僕たちが生きている以上、この瞬間に何かを感じていることに意味はあると思われるかもしれません。
この答えは誰にもわかりません。
こんなに長々と書いておきながら僕が言っていることも100%的外れだということも多いにあり得ます笑
でもそれでいいんです。
人生の解釈は100%自由です。
自分たちの人生に意味がないにしろ、あるにしろ、僕は確かにここに存在し、(多分)周りの人間も存在します。
この瞬間確かに生きています。
少しでも自由に生きたいと思うためには、まずは全ての人間に価値はないということを確認しましょう。
価値は常に自分の中に存在します。
そしてその個人的な価値が周りと同調した時に、人と人との真の繋がりが生まれるのではないでしょうか。
やっぱり普通に考えると社会的な常識とかそんなのに価値があるとは思えないのですが、
そこに重きを置いているのが世間で言う”普通”なのでしょう。笑
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9件のコメント
Hiroshi Makoto
フィジカリストかかつてより、お考えになっていた思想ではないでしょうか。
「ある」ためには原因が必要だ。膨大な偶然の宇宙にも必然があります。
科学者は今の宇宙だけでは、説明しきれない現象をみて、別の宇宙という仮説を立てています。
Koki
Hiroshi Makotoさん、コメントありがとうございます。
フィジカリストという言葉を初めて聞きましたがフィジシスト(物理学者)のことでしょうか?それとも特定の人物の名前でしょうか?
確かに別の宇宙だったり、自分たちが理解できる範囲を大きく超えて仮説を立てない限り、今理解できる範囲では僕たちの存在は無意味になるという結果に行き着いてしまうので、事象の原因を追う物理学者がそう考えるのも頷けますね
gorio
自分も同じことを考えていました(笑)
自分なりの考えは
どこの世界にも悪者(悪さをするもの)が必要で
その存在がなかったら自然界にとってもつまらないと考え
地球に反発するものも必要だと思うからである。
今ではそう簡単に人類は滅亡しないが、
地球が負けるか人間が負けるかの戦いをしてるのと考えてみました(笑)
まー世界とかあるかわかりませんが考えれば考えるだけわからなくなるので
この辺りで私はかんがえるのをやめました
neo
はじめまして。私と同じ思考の方がいないか検索していたらたどり着きました。その考えのもとでどの様な生き方を解としたのか参考にさせて頂きました。
地球という小さき規模で考えた場合でも、癌細胞でしかない人類。地球上のどの有機無機物に対しても役割を果たせていない自称知的生命の私達。私達に価値が生まれるには少なくともまず地球に対して破壊を帳消しにできる程に貢献できる必要があり、それが出来てはじめて知的生命体を名乗れると思います。宇宙の真理、生体の起源等の研究が其れ等に昇華する可能性があるなら、研究や其れを助ける環境を作る社会を形成する事に意味はあるのではないかと思います。
基本欲求に支配されない思考を出来る環境は、知識を得る機会と基本欲求が危機に瀕していない状況があってこそだと思うので、人類の可能性を信じるのであれば社会的な役割も無駄にはならないとも考えられはます。
但し貴方のおっしゃる通り、社会のルールや価値観などは普遍的なものではなくその中に居る為の隠蓑でしかないと思います。ですので自分の行動の根源が動物的欲求が姿を変えた何者であるか意識し、感情との折り合いをつけて生活をしていけたらと思っております。
長文失礼致しました。とでも楽しい記事でした。
田中 秀実
深く同意します。滅びると分かっているのになぜ無駄に生き、無駄に存続しようとするのか。僕は生きる上での倫理的問題(反出生主義的?)を解決するために数学を学び、物理学に貢献しようとしています。つまり生きることを肯定するためには、その隠された、固有に永遠不滅の存在を前提として、また手に取れるものとする必要があるのです。
R
胎内で原子が合成されて生まれ、風が吹くようにただ生きて、風が止むように死んで、また原子に戻る
生物の命は地球に起きるそういう自然現象の一つに過ぎないと思う
その地球も宇宙にとってはそんなものだろう
はじめまして
私も、生きている意味は無いと思っています。もし人類が惑星という括りを超え、地球以外の場所で命をつなぐことができたら…次は宇宙という括りを超える必要があると思います。宇宙がいつか無くなると知ってから、私たちの存在意義なんて無いという思いが強まりました。
価値のないルールにとらわれずに生きようという考え方、素敵だと思いました。私にとって大切なこととは何か、考えていこうと思います。
薩摩芋
最近中学一年生になりましたが 小学生の頃から
人間が存在していることの意味がわからなくて。
みんな勉強しろとか言ってくるので
なんでいつかどうせ死ぬのにみんな一生懸命に生きているんだかと思っていたけど
考え方が間違っているわけではないのかと思えて良かったです
友達にはそんなこと聞けないしw
家族に言ったら病んでると思われるし(多分)w
頑張って自由に生きられるようにしたいです
Koki
薩摩芋さん、コメントありがとうございます。
今自分のいる状況に疑問を感じることってすごく大事だと思います。常識に疑問を持つことはなかなか簡単ではないので周りの人には理解され辛いですよね。学校では会う人間は限られるので他の人との違いに嫌気が差すこともあるかもしれませんが、それ大事にしてください。世間にはいろんな人がいますので自分の価値観に合う生き場所はいくらでもあります。
大人になっても一番自分に合った生き方は常に探していくものなのですが何気に気付いていない人も多いので、中学生のうちにそれを実行できていれば相当なアドバンテージです笑