”ホムンクルス(人造人間)”
という言葉は多くの人が聞いたことあるだろう。
日本語での文字通り人によって作られた人間のことだ。
しかし人によって作られた人間と言っても、クローン人間とは根本的に異なる。
ホムンクルスとは近代科学の前身の錬金術における概念である。
科学的にはホムンクルスの生成に成功した例はないが、オカルト好きの間ではホムンクルスはいるのではないかという話もちらほら上がっているようだ。
後々言及するがホムンクルスの作り方を考えると個人的には信じがたい話だ。しかし面白いことにいると考えると納得できる点もある。
というわけでこの記事を書くにあたってホムンクルスはいると仮定してみよう。
ではそうなった時にそのホムンクルスはどこにいるのだろうか?
どこかの研究機関のフラスコの中?実験施設?それとも既に人間に紛れて暮らしている?
ここで我々が払拭することができないもう一つの可能性は、我々自身がホムンクルスだという可能性である。
当然であるがこれらは全て何の保障もない話なので、暇つぶしの一つとして読んでいただきたい。
鋼の錬金術師という漫画をご存知だろうか?
僕が今まで読んだ漫画の中でも首尾が一貫しており、様々なことに気づかせてくれる漫画で気に入っている作品の一つだ。
タイトル通り、漫画では国家錬金術師と呼ばれる国から認められた科学者が錬金術を駆使しながら敵であるホムンクルスと対峙していく。
このような設定から僕がまだ子どもの時はただのバトル漫画だと思って読んでいたが、あれをただの戦いドンパチ漫画と見なすのはとんでもない勘違いである。
作中で敵であるホムンクルスは人間の世界に何百年もの間潜伏しており、権力を持ち、国を作り、周りの人間たちをコントロールしながら長い年月をかけて野望を達成しようとする。
そして寿命が数十年程度しかない人間である錬金術師たちはホムンクルスとの戦いの最後で、自分たちが今まで暮らしていた国家や、当たり前に使っていた錬金術とは何だったのか気付かされることになる。
それに気づくまでの彼らはまさに世界の成り立ちを何も知らないまま、ただ教育で聞いたことを事実だと思っている我々と同じなのだ。
これまでに何度も言っている通り、我々は何も知らない。
過去に起こったことも何もかも、人から受け継いだ情報を信じているからこそ成り立っているのであって、その情報が全て正しい保証はどこにもない。
もしも語られている歴史の早期に実際はホムンクルスが誕生しており、過去にいた人類をホムンクルスが滅ぼして世界を取って変わっていたと考えたらどうだろう。
否定する術はないし、その答えを知る由はどこにもない。
なぜなら間違いなく当時のホムンクルスは滅ぼした人類に作られた人間が自分たちであるという事実を隠蔽して後世に伝えるはずだからだ。
さて、そもそもなぜ自分たちはホムンクルスであるという仮定の話が出てくるかであるが、その前に漫画でも多く出てくるホムンクルスについて少し情報を整理してみよう。
ホムンクルスとは元々はラテン語からきた言葉で、本来の意味は“Little man(小人)”。
今までで唯一ホムンクルスの生成に成功したと言われているのは、16世紀に実在したドイツの医学者であり錬金術師のパラケルスス(本名:テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイム)である。
パラケルススはホムンクルスだけではなく、賢者の石なども作ったとして知られている。しかしそれらは成功したと言われていても、実際に成功した証明は残念ながら残っていない。
生前に様々な文書を書き、現代の医学や科学に影響を与えたパラケルススだが、その文書の一つに彼の残されたホムンクルスの作り方はこうだ。
蒸留器に人間の精液を入れて40日密閉し腐敗させると、透明でヒトの形をした物質ではないものがあらわれる。それに毎日人間の血液を与え、馬の胎内と同等の温度で保温し、40週間保存すると人間の子供ができる。ただし体躯は人間のそれに比するとずっと小さいという。
そう、
意外と簡単である非常に難しい。
細胞に特定の遺伝子を導入することで原始化し、様々な細胞に分化できるようになるiPS細胞は革命的だが、それは10年前に発見されたものだ。
パレケルススはその何百年も前に、幹細胞どころか命を作っていたというのだ。
こんなめちゃくちゃ簡単な非常に難しい方法で。
このような画期的な技術であるにも関わらず実際にホムンクルスを作れたものはいない。
当たり前だ。
こんな方法でできるわけがない。
そもそも精子だけでは細胞が分化しないため、何も始まらなくて当然だ。
よって正直にいうとホムンクルスはありえない。この方法しかないのであれば。
ホムンクルスの作り方がこのように魔術じみたものだけだとしたら、現代の理論的にそれは不可能だと証明することができる。
しかし先ほど書いた通り、真実は必ずしも現代に届くものではない。
万が一別の方法でそれが成功してたとしても、我々が知る由も無いのは当然だ。
よってこの方法が間違っているとは証明はできても、ホムンクルスの存在否定にはならない。
”存在否定の証明は基本的に不可能”なので、通常の議論ではここで”ホムンクルスは作り話だった”で終わる。
しかしホムンクルスがどうせ作り話なら、もう少し話を広げてもっと面白い話を作って行きたいとは思わないだろうか。
その様な余裕を持って楽しめる方だけ先を読み進めて欲しい。
人間は長きに渡って、何かを発見し、新しいものを生み出し、自分たちが住んでいる地球の姿を変えてきた。
それらは他の動物にはみられない兆候である。
人間を除いた地球上の全ての生物が地球環境の範疇を出ずに行動する。
木を伐採することも、海を汚染することも、新しい物質を作ることも、自ら命を絶つことも、街を作るのも、肥満になるのも、人間が異質だからこそ起こるものだ。
異質さはそれだけには留まらず、人類は国家という境界を設け、社会というシステムを築きあげ、通貨を作り、仕事をし、そのような不自然に自らを置いて生活する。
そして意味もなく自らを統制するその中には、生きる楽しみや、自分自身の十分な時間を失ってしまっている人も多い。
”お金”という幻想のために身体に鞭を打って働くが、そのお金を多大に得た時にはそれには本当は価値が無いことに気づく。
便利さを求めて追求した挙句、街中ではどこでも食料が手に入るが、多くの人間が生活習慣病や癌などで苦しみ、その状況は一向に変わらない。
生物にとって一番大事なものは最初から自然体の状態で常に持っているはずなのだ。
それを社会に惑わされた挙句、気づいた頃にはもう遅いか、もしくは死ぬまで気づくこともなく現代システムの奴隷として生きる。
このような世界は本当に人間の知能が発展しているからこそ起こるものなのであろうか。
猿も、牛も、カエルも、昆虫も、人間のような知能を有したら同じような末路になるのであろうか。
答えはそうなってみないとわからないが人類の自らを貶める異質さは、自然に則しているとは到底思えないのだ。
人類がそれほどまでに異質である正体は、知能が高いからか、それとも他の生物とは根本的に違うのか。
聖書では神は人間を自らの手で作ったと言われており、他の動物よりも上位の存在だと考えられている。
もしも人間が神によって作られたのであれば、それは蒸留機のフラスコの中だった可能性はないのだろうか?
聖書で言う神とは現人類以前の前人類であり、その当時の人間は自然に則した存在であった。
その人間は自らの手で自分と同じような生物をこの世に生み出した。
それが現代の人類だ。
オリジナルである前人類が意図的にこの様な環境を作ったのかは定かではない。
しかし新人類であるホムンクルスが力を得て前人類を制圧して立ち位置が逆転してしまったのであれば、歴史を変えなければならない。
歴史を変えるにしても新人類は全くの嘘は書けない。新人類も一枚岩ではなく、前人類との共生を望む平和主義な党派が存在したはずだからだ。
一枚岩ではない新人類を統制するためには反感を生まない様に考えを補正する必要がある。
そのために教育が始まる。そして一番最初の教育は他でもなく宗教だ。
そしてその考えを礎に現代の世界が出来上がった。この社会がなぜここまで自然に則していないのかも頷ける。
今いる世界とは不自然な人類が作ったものだからだ。
ホムンクルス伝説とは我々の祖先の話であり、それは今でも続いている。
我々の存在と腐敗した社会がその正体である。
本当の前人類が滅びた以上、この地球の向かう先は決まっている。
不自然がこれからも蔓延していく中で自然の地球が生きられるはずはなく、いつかは滅びる。
環境をいくら守ろうとしても、その努力も不自然なものから生まれるので、地球の自然の循環を一度狂わせた以上、本当に元通りにすることは実質不可能だ。
我々の持てる唯一の望みは前人類が再び立ち上がり、
この世界を牛耳るホムンクルスを滅ぼすことだ。
自分たちが人間であるとは自覚していても、我々は本当の自分の正体を知らない。
いくら知識があろうとも、その目で確認したもの以外は本当である確証はどこにもないし、
もっと言えば視覚も脳がどう感知するかと言う問題であって、それが現実である保障はどこにもない。
我々は本当に何もわからないのだ。
だからこそ我々は自分自身を疑う必要がある。
この世界を疑う必要がある。常識を疑う必要がある。
我々がいる現実は、
今回のとんでもない作り話レベルでおかしな世界だと自覚する必要が全人類にあるはずだ。
Fact is stranger than fiction. 事実は小説よりも奇なり。
-ジョージ・ゴードン・バイロン